- 投稿日:2024年07月08日 13時25分
仕事でトラックが必要となり、ネットなどで検索すると、必ずと言っていいほど目にする日野自動車!街中でよく走っているのも目にします!!
「トントン、トントン、ヒノノニトン」というCMがとっても印象的ですよね(`・ω・´)
今回は、日野自動車のことは知ってるけど、いつからあるの?やどこが拠点なの?など、今まで知らなかった日野自動車について書いていこうと思います!
Contents
■日野自動車とは
主にトラックやバスなどの「働く車」をメインに製造する日本の自動車メーカーです。業界では通称「日野」と呼んでいて、トヨタグループの連結子会社16社のうちの一つです。日本のトラック・バス業界最大手でとても有名なトラック販売会社です!そんなの知ってるよ!!って思うかもしれないですが、新卒でヨシノ自動車に入った私は知らなかったんで、一応書かせていただきました~( *´艸`)♡
元々は、ガス・電気器具を生産していましたが、航空機用の国産エンジンや軍需車両の製造もするようになりました。
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■日野シンボルマーク
この記事は、日野自動車のHPを参考に書かいております!
日野自動車のトラックには、HINOの「H」がモチーフになっているマークがついていますね!これは、未来に向けて挑戦し続ける日野自動車の活力と発展性を表現しているそうです!!イメージは、地平線から昇る太陽、日の出ということだそうですヾ(≧▽≦)ノ
左右に引き合う形はHINOのハイテクノロジーと環境の調和を、左右に広がろうとする強い力は未来の飛躍を、そして矢印は安全な行き帰りという、トラック・バスメーカー積年の願いともなっています。その他にも中央のラインは輸送道路、左右の曲線は幹線と末端をつなぐ「流通」の一体感などをも願って表現されたものらしいです!!
実際、日野自動車のマークって、HINOの「H」を使ってるんだな~とは思っていましたが、こんなに深い意味があったんですね(゜o゜)このトラック豆知識を書いていなかったら、気づけてなかったかもです(´・ω・`)トラック業界にいるわたしは、この機会に知れてよかったなと思いました♪ まだまだ知らないこと多いな~(´・_・`)
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■日野自動車の歴史
日野自動車の歴史は明治末期から始まりますが、初めは自動車ではなく、ガスや電気器具の生産をしていました。今や、トラックの会社!!というイメージが強いので、意外なところからのスタートだったんだな~と感じます( ゚Д゚)!“ ここから、どのようにトラックメーカーへ変化していったのか、お話ししていこうと思います♪
★実はガスや電気器具からのはじまり
横浜や一部の都市部でガス灯が注目されるようになったのが1872年(明治5年)でした。ガス灯は薄暗いイメージが欠点となっていましたが、当時、主流となっていた提灯よりは使えるということで、東京府から要請を受けて「東京瓦斯株式会社」が設立し、ガス灯をさらに明るくするガスマントルという技術を確立させました。このガスマントルを製造するために、自社工場を建設し本格的にガスマントルの製造を始めます。
ガスや電気器具は、明治末期から大正時代に復旧しはじめ、そのころ東京瓦斯工業株式会社は、ガス・電気器具を生産していました!そして、1913年(大正2年)に東京瓦斯工業株式会社は「東京瓦斯電気工業株式会社」へと会社名が変わりました。
★戦争の影響で翻弄
順調にガス・電気器具の生産がされはじめたにもかかわらず、翌年1914年(大正3年)に開戦した第一次世界大戦によって、流れが大きく変わっていきます・・・
東京瓦斯電気工業株式会社は、第一次世界大戦時に海外から薬莢(やっきょう)という、鉄砲の発射薬を詰める容器を大量に注文されました。また、軍事用の航空機国産エンジンなども生産し、軍事需要により業績を伸ばしていったそうです。そして同時期に、「Tokyo Gas Electric Engineering」というブランドで自動車の量産も始めました。ちなみに、「Tokyo Gas Electric Engineering」は通称「TGE」と呼ばれてたそうです!
★本格的に自動車生産開始
ようやく第一次世界大戦が終戦・・・そのころ1918年(大正7年)です。
ここから本格的に、自動車の製造がはじまりました。20年後の1937年には、国家政策であった大型車輌の生産強化に合わせて、自動車部は、「自動車工業株式会社」と「共同国産自動車株式会社」を合併して、新たに「東京自動車工業株式会社」を設立しました。ここから、今まで生産していたガス・電気から自動車の生産へシフトチェンジしていきます。
★民間向けの大型自動車を生産開始
第二次世界大戦が終戦を迎えた1946年(昭和21年)から、大型自動車生産が民間向けなっていきました。ここからディーゼルエンジンの生産に入り、社名が「日野産業株式会社」となりました。
その当時では珍しかった、超大型トレーラートラックやバスを、得意分野だったディーゼルエンジンの技術を使って製造していました。
そして、そこから約2年後の1948年(昭和23年)に、独立で販売部門をつくり「日野ヂーゼル販売株式会社」を設立し、「日野ヂーゼル工業株式会社」を改称!
そして、翌年1949年(昭和24年)には、東京証券取引所へ株式上場しました!
★日野ルノー車って聞いたことありますか?
ルノー・4CVとは、フランスのルノーが1946年から1961年まで生産した乗用車です。車の名前についている「4CV」は「4馬力」という意味で付いてますが、実際のところ、これはエンジンの出力ではないそうで、当時のカテゴリで「4CV」に相当することが由来だそうです(*´▽`*)
日野ルノー4CVは、タクシーとしても使われていたそうです。フランスのルノーが製造したこの車はとてもかわいらしい見た目で有名になり、「亀の子ルノー」と呼ばれたりし、人気だったそうです!確かにとても愛嬌のあるデザインですね♡
1963年まで生産され、約35,000台が販売されたそうですよ~!
画像参考URL:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A#/media/File:HINO-4CV-01.jpg
★ついに海外展開へ
1962年(昭和37年)に初の海外販売会社をタイに設立しました。その2年後に、タイにて製造会社を設立!!海外への第一歩を踏み出しました(`・ω・´)
★トラック・バスなどの大型車輌の開発へ
1967年(昭和42年)に、トヨタ自動車工業株式会社(以下トヨタ)により、大きな転機を迎えることになりました。
この頃、トヨタと業務提携をすることになり、日野は大型車・商用車の開発や生産を再び行うことになりました。はじめは乗用車を生産していた日野自動車が、なぜ大型車に特化した車輌ばかり作るようになったのか・・・
理由①
日野自動車だけで、乗用車から大型車までをカバーできる経営戦力・技術的戦力がなかったためと言われてるそうです。幅広く、生産していきたいという気持ちはあったのかもしれませんが、日野自動車には乗用車の開発・製造の技術が少なかったというのも理由の一つだそうです。
理由②
1967年(昭和42年)にトヨタと業務提携したことが影響しているそうです。トヨタは元々は大型トラックなどを製造していたみたいなんですが、トヨタでは当時の6t積みトラックの製造が限界だったみたいで、時代の流れとともに10tトラックが普及しはじめ、トヨタは大型車を得意としていた日野自動車に大型車をつくるよう流れをつくっていったのではないかと思われます!
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■年表
- 1910年東京瓦斯工業創立。
- 1913年東京瓦斯電気工業(瓦斯電)と改称。
- 1917年大阪砲兵工廠から陸軍制式四屯自動貨車5台の試作勧奨を受ける。並行してTGE-A型トラックの自主開発を開始[2][3]。
◆純国産2tトラックの試作に成功
(TGE=Tokyo Gas & Electric)
- 1918年TGE-A型の製造を開始、「軍用自動車補助法」に定める軍用保護自動車の認可第1号となる[3]。
- 1937年石川島自動車製作所・ダット自動車製造と三社合併、東京自動車工業創立。
- 1941年ディーゼル自動車専用許可会社に指定、ヂーゼル自動車工業と改称。
- 1942年瓦斯電系の日野製造所が分離独立。日野重工業株式会社を設立。
◆日野重工業株式会社 全景
- 1946年日野産業に改称。セミトレーラートラック「T10B + T20型」発売。
- 1947年96人乗セミトレーラーバス「T11B + T25型」発売。
- 1948年日野ヂーゼル工業と改称。
- 1953年仏・ルノーと技術提携、ルノーPA型・4CVのノックダウン生産を開始。
◆国産初のセンターアンダーフロアエンジンバス
箱型バス「ブルーリボン」を発売!
※写真はBD10型 ブルーリボン号バス
- 1959年日野自動車工業と改称。
- 1960年8月コンマースミニバス、ライトバン発売。
- 1961年4月コンテッサ900(PC10型)、小型トラックブリスカ900発売。
- 1962年コンテッサ900が、700cc-1000ccクラスの国内ツーリングカーレースで優勝。
- 1962年5月日本の商用車メーカーとしては初めての海外販売会社をタイに設立。
- 1963年コンテッサ900が、第1回日本グランプリ1300cc以下国内スポーツカーレースで欧州車を押さえ2位。
- 1964年2月コンテッサ1300セダン発売。
- 1965年4月コンテッサ1300クーペ発売。9月「ブリスカ1300」発売。
- 1966年小型バス「レインボー」発売。トヨタ自動車と業務提携。
- 1967年コンテッサ生産終了。
- 1968年羽村工場に小型車専門ライン完成。トヨタ・パブリカ、トヨタ・ハイラックスの生産を開始。
- 1970年12月トヨタ・カリーナの生産を開始。
- 1971年デミング賞実施賞を受賞。
◆燃費、信頼性、耐久性に優れた「赤いエンジン」誕生
※写真はED100型エンジン
- 1972年大型直噴エンジンシリーズ“赤いエンジン”の生産開始。それまで大型4社でシェア4位だったが、このシリーズの成功を契機に、以後連続シェア1位を継続している。
- 1991年日本初のハイブリッド自動車登場。(ブルーリボンHIMR U-HT2MLA改)
◆市販の路線バスでは世界初!「ハイブリット車」を発売!
※写真はHIMRバス
◆ダカールラリー トラック部門1位、2位、3位独占
※写真はダカールラリーの様子
◆小型トラック「デュトロ」の誕生!!!!
※写真は初代デュトロです
- 2001年中型クラスエンジンを日産ディーゼル工業 (現UDトラックス)に2004年からOEM供給することを発表。引き換えに日産ディーゼル製CNGシステムの供給を受けることに合意。
- 2002年スウェーデン・スカニアと協業提携。スカニアのトラクターヘッドを日野ブランドで販売開始。
- 2003年合理化のため、いすゞ自動車とバス部門を経営統合し、ジェイ・バスを設立。
- 2003年燃料電池搭載のバスが東京都交通局で試験走行。
- 2004年ジェイ・バスが日野車体工業・いすゞバス製造の2社を合併。
- この頃から、西日本車体工業へのシャーシ供給を一旦中止(中型エンジンの日産ディーゼルへのOEM供給を除く)するも、2006年より路線系のみ再開。中型バスへのエンジン供給は2007年に日産ディーゼル側の生産体制変更により中止(三菱ふそうトラック・バス製に切り替え)。
◆北米専用車発売
※写真はHINO600シリーズ
- 2006年世界初 衝突被害軽減ブレーキ「PCS」を「日野プロフィア」に搭載
※1 商用車で世界初の商品化(2006年時点。調べ)
※2 PCS=プリクラッシュセーフティー。「PCS」はトヨタ自動車(株)の登録標章です。
◆日野プロフィア
◆古河工場 開所式の様子
- 2017年大型トラック「プロフィア」、中型トラック「レンジャー」がフルモデルチェンジ
◆大型トラック 日野プロフィアと中型トラック 日野レンジャー
- 2018年9月18日フォルクスワーゲントラック・バス部門のトレイトンと電動トラックで提携すると発表[5]。
- 2019年ソフトバンクとトヨタ自動車の共同出資会社であるMONET Technologiesへ本田技研工業と共にMaaS事業の価値向上とモビリティサービスユーザーへのサービス向上を図ることを目的に資本・業務提携に関する契約を締結。
- 2019年6月 AIを活用した世界初のハイブリッドシステムを搭載した大型トラック プロフィア ハイブリッド発売。
- 2020年日野工場のすべての機能を古河工場に移転し、日野工場の閉鎖を予定[6]。
参考引用URL①:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A
参考引用URL②:https://www.hino.co.jp/corp/about_us/
~ ~ ~ まとめ ~ ~ ~
カッコいいトラックを開発し続けてくれている日野自動車!!近年、カッコ良さだけではなく、安全性や燃費なども考慮したトラックが開発されていますね!今後も日本のトラック界を力強く引っ張っていってくれることに期待ですね(`・ω・´)ゞ